日高新聞 108号
沙流川を守る会 山道アイヌ語学校 フリースクール

山道「職業訓練校」 北海道自然保護連合日高地区 沙流川を守る会
 
 (切手、発送の費用カンパetc)
 切手(発送の)カンパを頂2月の発送も,無事終え2月の発送までこぎつけました。経済的にも厳しい時の会報発送にまで来ました。 
 10万余の費用のかかる活動も皆様のご協力のもとで108号となり、一万年祭も19回となりました。
 色々と厳しい状況下のなか・・・年と共に年号も増して、今年もヨロシク!!

人と違う姿に変え、いち早く神の目に止まられ守られる様にとアイヌ文様は、自然界の強いエネルギーを身につけた。


 

二風谷ダム、平取ダム上流の沙流川は、乱開発、治山の手遅れ、すでに沙流川ダムは地図上からも消え誰も、日高ウェンザルのダムを語るものはない。二風谷ダムと平取ダムも、砂は採り、石を採り、砂利を採り、川を殺し、殺した川を、ダムに売った。死んだ川を蘇る努力もなしに・・・
 二風谷ダムも平取ダムも,沙流川じたいが,地質、岩盤も劣悪で、ユーラシア日高層はダムは、地質学者のなかでも適してないと、ボーリングデータの数値でも出たにもかかわらずー御用学者の手で環境影響報告書A,Bとも良好とデーターは誰が出した。礫岩部分だけのみボーリングして、安全と言った例として、岩知志ダムも、うその100年の断言は30年足らずで見事に崩壊したではないか。

 カムイ、チェップ(鮭)アキアジは、昔川底を腹をこする程に!背は太陽に黒く焼けて、キラキラ光り川を登ったものだよー!

 

 カムイ カムイモシリミンダラ ウレシパ アイヌ      
 (神〔自然界〕と共に生きるアイヌ)

アシリレラ
北海道平取町二風谷〔人口500人足らず〕の部落にて

 全道各地に在住するアイヌ民族の人口よりは、平取町二風谷のコタンは七割は、アイヌ民族、そしてアイヌ朝鮮、中国etcの血を引く。日本人と称する。複合民族、いわゆる和人と、共存する部落だ。私はこの地に生まれ、この地に育つ。
 私は「アイヌ語学校」を開いたのは、今から20年前マイノリティ、少数民族会議に出席して、いじめによる学校の屋上から、飛び降り自殺を見たのと、色々な子供の自殺を見た時、アイヌの子も人ごとではない。(カミソリを封筒に入れて送り、死ね!)と手紙を送る子、子供を見殺しに出来ない。血や色や髪の色等、関係ない。命の重みを子供達に、自分の体験を通して伝えられてアイヌ民族の優しさや人の好さで、だまされて、毒殺され侵略されても、殺戮や、収奪に合っても、生きぬいた先祖に対しても自分に生きる、自立をめざして、教育や養育指導し、逆境にも、負けない子にとの願いから始めた。
 若さと、バカ差で乗り切った数十年は、若い世代の後継者に、夢をたくして、つづく!


 

(アイヌ語学校便り)

 アイヌ語学校の生活                    榊沙耶香


 アイヌ語学校では食事当番が決まっています。毎日交代で家の中の仕事をします。私はまだ全部出来ないけどアシリ、レラさんに少しづつ色々なことを教えてもらって少しづつできるようになりました。料理では魚のさばき方を教えてもらったり山菜やキノコの保存のしかたを教えてもらいます。ほかにもカムイノミ(自然万物の神々に祈る)の時に作るアイヌ料理も教えてもらいました。
 アイヌ語学校では1時から3時まで勉強します。夜になったらアイヌ語学校に集まってアイヌの歌や踊りを練習します。ムックリ(口琴)も練習します。私は音は出るけどワザがあんまりできないので今はワザを練習しています。早くできるようになりたいです!!
 私が今楽しみにしている事は、5月になったら取れる山菜です。山菜の中でも一番好きなのはギョウジャニンニクです。焼肉に入れてもおいしいし、玉子と一緒に焼いてもすごくおいしいです!!これからも何があるかわからないけど1日1日アシリ、レラさんに色々な事を教わって一
人でも生きていけれるようになりたいです。

   (フリースクール手記)                萱野真佐美


 朝外でゴミを焼いていると木から木えとリスが走って行くのを見た。こんな寒いなか何やってんだと思いながら、ゴミの火が消えたのを確認しておもやにもどろうとすると、アイヌ犬とりゅうきゅう犬のハーフの子犬イワンがとびついてきた、この子犬は、人のクツを盗んだり猫を追いかけまわしたりのイタズラっ子だ。その子犬をふりきって、おもやに入いりいそいでマキストーブで暖まる。するとおばあちゃんの犬のマヤがふるえながら私のとなりにくる。マヤは歯ぐきの病気で、歯がほとんどなく舌がたれていて、レラさんの知り合いの人からもらってきたらしい。マヤのそばに去年、産まれたばかりの子猫のノンノ、タロがあるいていく。その猫を捕まえようとするとすぐにげてしまう。 もう少こしなついてくれたらなあと思う

 




 アイヌ民族の墓地を公共事業で道路工事開発をして壊して荒らしその骨を北大やアイヌ研究家に渡した(裏では売買されていたらしい)それを受け取ったアイヌ研究家とは心を考えていない研究家という。失格ですよね。元はアイヌ民族に対しての謝罪の意味を持たせた研究(アイヌ民族、文化への復権の手助け)なのですから。その墓荒らしの罪は日本に住んでいる一般人に責任分配され、解消される事は国に日本人が任せっきりのままでは解決しないだろう。国政府は自分の都合の良い(我まま)考えで進めているようで実は進めているどころか旧土人保護法からアイヌ新法アイヌ文化推進法として、同化政策をさらに進めた。旧土人と書くと先住民族と証明されるわけです。言葉でだました訳です。アイヌ民族は言葉をイタックと言い神から授かった大事な道具として人間に降ろされたはずですが・・・?僕はアイヌ民族に土地を返しても受け継がれている文化を続けていくのならさらに今よりも良い結果に結がると思いますが。

 元々と言えばアイヌ民族に日本人の方から今まで自分達がして来た罪(土地略奪、強姦、人権侵害、アイヌ勘定など)を認めて謝罪の意味で先住民人権法を作らないといけないのですが・・・戦争にも連れていかれたのですよなぜ?沖縄に沖縄先住民とアイヌ先住民が一緒に建てた墓があると聞いた。当然日本国民はアイヌ民族の文化を抑えつけて日本人と言わせたのでしょうけど天皇宗教(上下社会)の法律で。
 
 今「河野差別図書弾劾裁判」で祖先の人権回復を求めているピリカモシリ社の方達に署名をした。デモ行進にも参加しようとおもいます。その差別図書の内容は政府の命による北海道の病状調査として梅毒患者とその人達に無断で書き、「アイヌ民族の特徴的な梅毒やほうそう」と書いたが、その病気の元は和人が侵略の際に持ち込んだものだ。和人が入って来てから流行った病気だと聞いた。そして当時は国の調査書とだけしていたが、図書を作った人の子が再発行をして一般人にも公表したのだ。本人の発表では無いとは言えるが(金から目をそらしてちょっと考えたら解ると思う)無断で掲載された人のこころはの腹口はさらに広げられる結果になった事は認めなければならない。国(日本政府)とツルんで裁判官も政府の仲間で神カムイのツケを貯めこんではいけませんよ。
 ですからまとめますと、政府は裁判官と一緒にアイヌ民族を苦しませて日本人を単一民族として吐かせたい一心ではないのでしょうか?でもそれは無理というものです。アイヌ民族には明らかに違った文化や考えが残されていますから。子供の考えの我ままなのです。まず言語が違います。そして先住民族の文化はその土地に最も無理の無い更に感謝を持った生き方を積み上げて来た一番尊い生き方なのですから。元々の生き方を見ていると、環境問題(核爆弾も放射能被害も無く、大気汚染の温暖化による毎年の天気の崩れ《森林伐採が進んでいるのでその場所近辺の天気予報のハズレが多くなる事はおかしい事ではないという話。アシリレラ》もぜんそくや体調不良も少なく、森はきれいでゴミも投棄の心配が無く、住み良い空気がきれいな場所はいつもきれいな物と向き合って暮らし、自然と共生しているという事は被害に会う動物も少ないわけですから、心も安らぎ、山菜や動物の減少もないように気を掛けられているので、《アイヌ文化では、動植物を絶やさない様に場所を変えながら狩猟採収している》絶えず残り、バランスが保たれてどこに住んでも生きられる森でしたでしょう。北海道じゅうにアイヌ語が残っているのですからカンバンが立てられる前にアイヌ先住民が住んでいたという証明になります。今の暮らしでその地名の意味を果たしていないという事は先住民の生き方、文化から離れて生きるという証明にもなるのです。これが大きい文化の違いと言える事だと思います。そして自然による災害にも山の地形地図を頭の中に広く持っているアイヌの方々ですから、対応力もあり、被害を最小限にとどめるでしょうし。)の心配も少ない理由です。
 自然との関係が良くなければ必ず健康を崩す事だと思っています。

 薄汚い政府の物真似する政府信者は誰?もっと自分自身の価値感で生きるべきです。


     2007年 1月19日        ハリケン

 

会話の途絶えてゆく、文明社会の行く先はどこ・・・?そして子供達の未来は明るいですか?大人の人達は、しっかりして下さい。(自分さえ良ければどうでもよいですか)家庭のの両親はしっかりしてください。国よ、行政よ、しっかりして下さい。死に急ぐ地球を取り戻してみませんか。杭を打ち国境や境界線は必要ですか?もっと平和に急がねば地球と子供が危ない!!
私は道新の石原伸司さんの記事を読んで元暴力団長と、作家と堂々と書いて非行の子供の事が書かれていて、人間は見かけじゃないんだよなあーとずく〜考えちゃった。この様に体験しているからこそ、その子の気持ちが分かるのだなあーと、思うと、共に、昔は、ガミガミ母ちゃんとカミナリ父ちゃんがいて、長老が居て、子供達を見守っていくんだなあ〜と、そう言えば・・私が子供の頃、ナシを木から採ろうとしたらどなられたけど採ったのはくれたもの〜怖い人ほど〜やさしいのかも

自然破壊は、人間がやったツケ       アシリレラ
山菜もさながら。毎年洪水が起きる、その度に山菜のアジトは消え、キノコははえてたっけの場所は、行方不明。警察に頼んで調査してもらおうかな。どうして、何年に一度とかの洪水が、毎年起きるのでは、山の奥でネズミがチェーンソウで木をかじり過ぎよ!
アイヌ語 日本語訳
オッカヨ、 ウタラ

 メノコ ウタラ            
チェップ サク ヒケ         
タンネ                

 タクス                

 エネ オカヒ             

 コ マクチ タラ           

 イコル パレ ヤン          

 ピリカ ヌヤン            
男たちは

  女たちは

  魚のないところではない

  長い

  短い

  このように、そのように
  

ひろびろとうち開く

 
・・・して下さい、そうやって下さい
 

よく聞いて下さい。きいて下さい。


 

月 日  行事案内 内容〜内訳
1 27 東京での(ユーカラ)講演、トーク        
 
 ナバホのインディアン、ホピ族、ウラン鉱での惨事や実態、写真展
 
2 17〜21 屋久島カムイノミ トロッコでの死者の冥福を祈り月型浜〜もののけ姫の                     舞台の山と川の祈り
4 14〜15 京都での講演  核、原発の文明と破壊と今後の原発の行方をさぐる
日程は 4 30か 5 10〜18日 予定と行くのは決定 オーストラリア アボリジニー  
5 3〜4〜5〜6 山菜ツアー 一日一人1、000会費 運転〜ガイド料                          保存方法、料理法 etc
5 30 一年に一回の(大祭) ヌササンのイナウ取り替え
5 30 福満カムイノミ  
6 24 オキクルミカムイノミ  フレピラ(現在)のハヨピラ公園のヌササン取り替え
7 1日  会場整地etcに入ります。春の突風で売店の屋根がこわれてます。  

 

(ひとりごと、ブツブツ)     アシリレラ
 北海道近代美術館に行ってきましたが何故か、提出者の名前のみで、製作者の名前(レヘ)がない。有名人の本もそうですが・・・たしか長老の声や記録がもとで・・・書かれてゆくものが本であり、また、著者の覚え書きや知恵や学んだものもあるのですが・・・特にアイヌ民族に関しても、同じ事で・・・そこに昔の人の記憶があって、出来るもの、長老の名前は何々と書いて、誰々に聞いてとか、その本の何ページは・・・氏名は、あって、しかりです。

 

(ヤイサマ《愛恋歌》山道サキ)      アイヌ語訳 アシリレラ

(アイヌの男の人が強制ドレイ)の時のものです。


 ク コルワ ユポ ネイタ トイマ ルラワ オスラテキ イテキ エアニ タン ネイタ 

 私の 大事な人が  どこか 遠い所へ  持って行かれた ダメダ あなたは今 どこに

パクノ オロワ レラウン エアッパネ レラウン エアニ ウン シノッチャキ レラ コラチ

 いるのか   風よ   憎い    風よ   あなたは   自由きままな 風だから

エア二 ポカ ク コルワ ユポアン シカリ シカリ ケレ アプカシ ワ クス ク アサク 

 あなただけは 私の恋人(夫)の  回りを 回り さわって 歩ける だろうか 私は 

アイヌワ クス オマン アルパ イテキ クス ヤイサマネナ タンペ マカナクノ レラパクノ

 人間だから  行く事が   できないのだ!  恋しや   仕方がないから   風にでも   

チカップ タ パクノ ホプンパレネナ ユポ オロタ ケレワ クス ヤイサマネナ ヤイサマネ

 鳥になってでも  飛んでいったなら 恋人(夫)にふれられるだろうか 恋しや  恋しや

ナ ヤイサマネナ イヨハイ シトマレ ウェン シャモ ミチ ホクワ オッカイポ フナクン

  恋しや    呆れて  しまうな 悪い サムライ和人 父 夫 息子 どこに連れてった。  

ルラワ??




二風谷で新しい年を迎えることができました。年末はクリスマス、年越しと、カムイノミがあり、居合わせた人々みなで祈りました。正月三ヶ日女の人は台所には立たないということで,男の人達がおいしいご飯をつくってくれました。普段台所に立つ女の人達のため(いや、ここでは普段も男の人も台所に立つのですが)ということですが、お正月も男の人達はふんぞり返りお母さん達は忙しく働いている・・・という結構よく見られる光景には、日本のよくある男社会の一端があらわれているのかもしれませんね。
 そして今年最初のカムイノミ。一年間よく守ってくれたイナウとキケを天にかえし、忙しい時間の合間をぬって男の人達がつくった沢山の新しいイナウとキケを、再び家や学校、敷地内にある建物に据えます。上(神)座に座した人達はそれぞれのカムイに祈りをささげ、感謝と、これから一年間の無事を祈ります。「昔はこうしてエカシやフチ、みんなの祈る声が響いたものなんだよ。」とレラさんがおっしゃるとおり、重なりあうアイヌ語の祈りの言葉の響きがとても深く心に残ったカムイノミでもありました。
 お正月はおぼえたばかりの刺繍をゆっくりとすることができる絶好の機会。一つ一つに意味のこめられているモレウ、アイウシ、コタンコロカムイなどの文様をかたちにしてゆくのはとても楽しい時間です。長い年月を経て作られてきた文様が、今ここでも生きつづけていく、いつかはそんな刺繍ができるようになりたいです。
 文様といえば、先日北海道立近代美術館に「アイヌ文様の美」展を見に行く機会があり、古くからのアツシ織りに美しい刺繍をほどこした着物、イクパスイを始めとする品々のすばらしさに感嘆しました。ですが、気になったのは、展示されている品々の多くが、現在「河野差別図書弾劾裁判」で問題になっている『アイヌ史資料集』の当の著者、河野本道氏の父である河野廣道氏が収集したもの、と記載されていることです。またそれらの展示品には「収集」した人物の名は書いてあっても、創られた方の名前も言及されていません。いつ頃つくられたものなのか、入手されたものなのか、年代も書いてないものも多くありました。展示の趣旨のためもあるのだとおもうのですが、アイヌモシリの歴史、当時のいわゆる「民俗学者」もありようの一端を垣間見たように思います。
 最近ようやくムックリの練習を始めました。一万年祭の時に子供達の奏でるムックリの上手さには驚き、今も学校の子供達に教わりながら、ぎこちなくではありますが仕事などの合間に練習しています(ムツカシイ!みんなスゴイ!)。風の音、雨の音、動物達の声を奏でることのできる、シンプルながらもすばらしいこの楽器の奥深さを身をもってかみしめています・・・。

                                                             あおい

 ところで、学校にアイヌ犬と琉球犬の血が流れているかわいい仔犬がいます。北と南の虹(かけはし)となるこの仔犬を育てて下さるかた、連絡お待ちしています。

                                                                             戻る

                                                                          

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