日高新聞 107号 | 沙流川を守る会 山道「職業訓練校」 山道アイヌ語学校 郵便振替口座 02790−8−11965 山道方 沙流川を守る会 |
今発送しているトラストの山の湧水は山が積雪と氷で行けませんので春4月10日まで休みます。尚自宅の水も湧水です。それでも良かったら注文してください。送ります。 |
一万年祭には百年一度の大洪水にもめげず・・・祭りを最後までやった強き聖士達に感謝きっと地球の危機を救うだろう合掌!!イヤイライケレ 一千部の配送の年賀にかえさせて頂きます。 |
「事実を知る事で平和実現をめざす事」 |
今日本は先住民族の地を植民地とし、自然に合った生活を奪った上にある。日本列島は元は縄文人が住んでいたが。朝鮮半島から米の文化を持ち込み奇襲や毒を盛るなどして、同化政策をしてきたと研究発表されていますが、その通りアイヌ民族人権問題にもみられるように政府は先住民族の文化推進と言っているように見えますが、その見込みはまだまだ足りない。日本の同化政策は、今も根強く続いているのです。 もともとアイヌ民族は米を、食べてはいませんでした。粟やひえやきびや旬のもののさけや、鹿の肉と、豊富な種類の山菜やきのこなどを食べてまかなえていたのです。熊や鹿などの獣などは感謝をしてカムイノミをしていたのです。 当時の方はその祈りのある感謝していた生活で心豊かに生活していたと思うのです。それは今までに残されて来た先住民の文化を見てみると明らかです。 木の皮を「頂きます」と礼拝してから剥ぎ、その木が死なないように帯をしめて帰って来てその繊維で厚子という着物を織り上げ、糸も拠って物を入れる手提げも作ります。大きい仕事では茅ぶきでチセと言う家をたて上げその暖かさは植民者によりアイヌ民族に建てた木造の家には寒くておれない、と自分達のチセに戻っていった話は有名です。熊送り。イオマンテという御祭りをするのは、冬に狩りに行き、小熊がいた場合はつれて帰り乳の出る子の母親に一緒に飲まさせて、血の増えるハンの木でおしゃぶりを作り遊ばせるのです。そしてまたここに来る様にお願いし、心が迷わないようにあの世まで連れて行って貰えるように火の神や諸もろの神たちにお祈りして、その魂を送り、血と毛皮を頂くのです。コタンのフチ達は泣きながら食べていたそうです。そうして命の尊さを知るのだと思います。 今は和人とアイヌ民族や琉球民族の混血が進んでいますが、暮らしは日本風が主流の様です。日本政府が民族同化を進めたのです。でも地に足が付いた暮らしを選ばないと言う事は、生きる条件である自然に負担が掛かることなのです。 二風谷ダムは工業用水のために作られたのですが、その意味は空しく維持困難になり遂に国に手放してしまいました。ダムによる水害で人身事故も遭ったとか。またダムが作られた事により秋の旬でもある鮭が沙流川を登れなくなりました。沙流川に住んでいる人は昔火に鍋を掛けてから鮭を捕まえに行き、汁物(オハウ)の具にしたと聞きました。(イオマンテする為にイサパキクニと言うイナウ・御幣を飾った棒を作り一匹に一本用意し、神の国に帰したと言います。)鮭はそれ程身近で大きい存在だったのでしょう。しかし今登れている鮭と言えば100匹中3匹程だそうです。意味の無い観光ダムは一刻も早く取り壊すべきです。 その失業対策として、治山事業の一環として植林を進めるべきだと思います。柳の木は繁殖力が強く水際に枝を切って植えると、根を下ろし成長を続けます。そしてその木から種を落としてやがて林となり、水流を緩和させて鉄砲水が来ても地崩れを防いでくれるのです。空気も浄化して生きる者に住みよい環境を作るのです。木を切り過ぎるとその場所は人間も住めない様になるのは、当たり前だと思いますが人間の金と欲で山を切り崩して田や畑の土としているのが現状で、タスマニアと言うオーストラリアの東南下の島国から日本の製紙工場が伐採し島の人の暮らしを困難に追いやってしまっているのは、その紙を使っている私達が加害者だと思うのです。それにはメモ用紙はチラシの裏を使うとか、古新聞を包み紙に使うなど考えてやってみると少しですが、節約と対策ができるはずです。地球の為に植林や紙の節約をやってみませんか。 日々感じている事を書かせて頂きました。 イヤイライケレ ハリケン |
(いじめ)は心の貧しさと無知!! |
今、いじめの問題が・・事実子供の死によって、何かが起きなければ動かない社会の動きと、学校も出来るものなら、隠していて済むものならの考えが・・・人の命を捨てて、訴えるまで気がつかないのです。無視!! 大人の社会に問題が有り、マネ猿してる子の「上意下達」!!家族との会話が少なくなり、パソコン、インターネットやゲームとの向き合う時間が・・・家族との向き合う時間より長〜い年少の携帯の持ち歩き、色情情報がちまたにありふれ過ぎて、正しい性教育の場を壊す大人、正す大人の数より多い大人社会の大きな問題社会問題として、真剣に取り上げたでしょうか。 そんな回りの社会や学校や大人のウソや、理性のなさに子供は迷って成長してしまってはいないだろうか。 国、行政は、この様な問題が起きる前に「シンポジウム」を取り組み防止するとか。その様な取り組みは、そんな事件が起きてから、始めて動くのです。 問題を起こすのは、大人なら、問題を治す力や運動も出来るのも大人なのだし、子供は大人を見ていますよ!・・・と。私は言いたい、マネするよ!!って。 アシリレラ |
アイヌ語 | 日本語訳 |
アトイ オルン チプ ウラ ウシ ナイ オハイ カネ ヤトイ オッテナ コンカネ ラップ ニッ アプカシ カムイ アタイ ポカ |
海に繰り出す船 いつもヤナをかける所 なるほど 雇われる働き人の頭 金の矢の羽 歩いて巡業をする者を守る神 値のある代金と物 絹とか織物の袋 食料を取る船を下ろす川 すごい恐ろしい化物 悲しんで送った人たち 海の妖精 |
海の漁を取りすぎた時に、海からきれいな女の人が見えたかと思うと、船をひっくり返すのにゆすったので、魚を半分返すと船を無事に帰してくれたと言う K.Tエカシより |
雪が静かに降っています。いよいよ北海道、二風谷、アイヌモシリでの初めての冬を迎えるのです。この夏、アイヌモシリ一万年祭と浦河べてるの家を訪ね、アイヌの人達、精神障害者とよばれている人達をはじめとする沢山の人と出会いました。私自身も病と判断されて数年、今だからできることがあると旅し、一度は帰ったのですが、この秋再びこの地を訪れることができたのです。 ペットボトルの水がガチガチに凍る寒さの中、天の星を見上げ、こわばっていた五感が研ぎすまされてゆくのを感じます。これから厳しい冬がはじまるけれども、この冷気の中で樹々たちは静かに、次の春の芽吹きの準備をしているし、いきものたちの気配がより際立って感じられます。 厳しいけれども美しくやさしい、時に荒ぶる自然、カムイ、太古の昔からその中で生きてきたアイヌの人々とそのアイヌ、プリ、私はまだ学びはじめたばかりでとても何かを言うことはできないのですが、その知恵を、時間をかけて学んでいきたいと思っています。そしてこれからにつなげていきたい。 例えばユーカラ、ウポポ、リムセ、刺しゅう、織物というかたちで表現されているアイヌの人達の世界を見る度に、手を、言葉を、心を尽くすのなら、どんなことができるのだろうと考えます。そしてカムイノミ。 どこに暮らしていようとも、わたしたちはやはり大きな連環の中で生かされているということ。 あらゆるものが共に育みあう大地、ウレシパ モシリ、この大地で生きる今の、これからのアイヌ、ネノアン、アイヌ、人間らしい人間、というのはどんな姿であるのか、日々暮らしています。 あおい |
平取ダム反対 |
沙流川に、二風谷ダムが・・・長〜い闘いにもかかわらず、見切りの発車の上、着行、そして完成を見た。赤字の二風谷ダム、色々な波乱をもたらした二風谷ダム、そして、その上流に平取ダム着行へと向けて、次のダムを造っている。金のなるものに意地の張る、国、開発〜行政そのツケは開発ですか・・・住民に押しつけるダム、必要ですか。 沙流川を守る会 |
初めまして。正岡絵里子です。おこげって言われています。二風谷に来てちょうど3週間。私はここに来て、今までためこんでたものがすーっと外に一個づつ放り出されていっている感覚でいます。私の中にある、余計なもの、いらないものをどんどん捨てて、今まで気付かなかった大事なもの、知らなかった大切なことをいっぱい吸収してまた2007年東京でも、どこにいてもがんばろうと思います。今、ここには、生まれて2ヶ月のアイヌ犬と琉球犬のハーフの男の子犬がいます。ヨークといいます。めちゃめちゃかわいいです。もうすぐ離ればなれです。元気に男前にかわいく育ってくれますように!! |
私はフリースクールの生徒です。小さい時から康子(アシリレラ)さんに育ててもらって色々なことができるようになりました。うれしいです。これからも康子さんに色々教えてもらってたくましい大人になりたいです。幸田来未とヨークが大好きなさやかでした。 |
私はフリースクールの生徒です。12月14日で15才になります。早く大人になって車の免許をとりたいです。猫が犬が大好きなまさみ (免許とれるよう勉強してね) |
いじめ(マツヨ) |
TV(テレビ)で、猿の番組を見ましたら、猿の群を観察すると、仔猿が大猿へと成長するにつれ、ひとつの段階として、特に、の雄の仔猿が・・・自分より弱い者、特に雌(メス)仔猿をいじめるのです。「いじめ」は成長の過程であるのでしょうか?しかしそこには道徳である、大人の割り込み正すしつけや叱る事がある訳です。人間の社会でも(その正す知識〜知恵者長老)が社会に存在うすく、老人ホームに消えゆく社会にもんだいがあるのではないだろうか。? |