<現状報告>

平取ダムの建設中止を求めます。

 苫小牧東部大規模工業計画(1970年)は大風呂敷的計画のものでした。当時はITER(国際核融合炉)の用水としてのもので、鵡川流域の用水計画も シシャモの水揚げでの生活の為、強硬な反対にて沙流川に話を持ちかけてきたものであり、、決して洪水調節の目的で始まった話ではありません。苫東でのオイルショックもあり、当初のマスタ−プラン、基本計画は破綻したのです。

 すると、工業用水が今度は治水、農業用水、次には雇用対策へと、ダム建造の公述会への説明も無謀に二転三転と繰り返した。

 住民の意見に、多目的ダムへと変更もした。

 二風谷ダムについては、当時の北條局長は当会に対し「百年持つ。」と言った。現在二風谷ダムは10年で公式発表の堆砂猟の2倍〜3倍を超えており、4km上流域では砂丘が出来、雑木が生え、その堆砂は1189万立方メートル以上となりました。

 冶山事業が遅滞し、植林事業もない河川環境の悪化、魚道も魚の遡上出来る状態も考えられない。シシャモの問題も、あたかも沙流川の問題であるかのように公述会では分らないのに分っているような専門用語を並べて住民を騙す。  分かりづらい、また、平取ダムの問題もそれ程必要性が無かったので2〜3回のみの凍結を見たのではないのでしょうか。それなのに、今さらまた、あたかも雇用対策として、住民の仕事が無い為?天下りの失業対策の間違いではないのか。上流では上貫気別〜奥地の森林が新日本製紙工業での八百余町と言われている。買占めと伐採を行なう場合、川の毎年の氾濫を垣間見れば、これ以上のダム建設が不要である事は明確です。

 また環境庁でも認めている通り、ヒメギフチョウとその食草の両方共、貴重種が湖底に沈む事になります。沙流川はその岩質〜岩盤etc植生〜地質においても劣悪であり上流では地図からも消えている。沙流川ダムはウェンザル(アイヌ語で”悪く崩れる所)に建造されている。洪水時の岩知志ダムの崩壊、現在の二風谷ダムに関しても、かつて断言した数字も自然において、消滅的な堆砂量において、あるいは、ダムの寿命年数やダムの公述会での説明も、全てウソの安全説となったわけです。現在における、科学知識と自然の知識のズレでしょう。

 私は多少ですが和光大学の地質学者について学び、少しは分るのですが、沙流川は過去長期間における洪水の歴史から見てもその岩質、岩盤、地質は劣悪だと思います。ポーリングデータも<良>ではなかったはずです。コアは劣悪だったはずです。

 御用学者のダム建設の為のデータを成作した結果が今の笑える。二風谷ダムや沙流川ダム、崩壊した岩知志ダムの結果が・・・

 ダムが、この川の地盤にも、アイヌ、モシリ、の一部、コタンにおいて、ダムは現在アイヌ民族の文化やその伝承の為になっているでしょうか?

 今、カヤぶきの<チセー家>が立ち並んでいます。その背景に広がる灰色によどみ泥茶色をした人工のダム湖は良識ある日本人観光客の目にどう映り、人々は何を考えるのでしょうか。彼らに向かって、「あれは沼です。(??)」とでも言うのですか?

 平取ダムも二風谷ダムも、この沙流川域に話が来た当時は町も反対をしたはずなのに、今や町長自からが上京をしてまでダム計画推進をした?と見聞して驚愕している。長い間計画が円滑に進められてきた訳でもなく、ましてや場所がアイヌの聖地である事を思えば、もっと森林や自然環境に対する配慮があって然りでしょう。

 ここは、アイヌ民族の精神的文化伝承の大切な拠点です。住民を二転三転の雇用対策でまどわしたり、ダムに無知なのを良い事に専門用語で困乱させたりするのではなく、相手の立場になって心で会話をして下さい。

 ダムや洪水のツケで泣くのは開発業者でもダム事業関係者でもありません。ましてや官僚の天下りの人達では絶対にない事を、知っておいて下さい。

 ダム中止を求めます。

                         2010年 沙流川を守る会一同 代表 山道康子 アイヌ名 アシリレラ

 

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