二十回目の『一万年祭』

あるアイヌ民族女性の試み

2008年 (平成20年) 9月17,18,19日 北海道新聞より


和人中心 数百人が集う

地面に届くほどの長髪の青年、浮世絵の入れ墨の中年男性、アイヌ文様の鉢巻をしたフランス人男性、、、。日高管内平取町の住宅街から二十キロ離れた川沿いの広場に、さまざまな人々が今夏も集ってきた。
 「オウ、オウウウ」同町二風谷のアイヌ民族、山道康子さん(六二)の悲しげなうなり声が山あいに響いた。八月十日から一週間にわたる「アイヌモシリ一万年祭」がカムイノミ(神への祈り)で幕を開けた。
 広場にたいた火の前で参加者約四百人と座って目を閉じた山道さんは、取りつかれたようにアイヌ語を発し、涙を流した。山道さんをシャーマン(呪術師)だという人もいる。
 祭りでは、山道さんらがウポポ(歌)やリムセ(踊り)を披露、さらにスイカ割りや運動会なども含め、朝から晩までイベントが続く。毎年、数百人の老若男女が会場でテントに泊まり、独特の世界を楽しむ。そんな祭りが今年二十回目を迎えた。 
 一万年祭は苦渋の人生を強いられた先祖も、和人も慰霊し、恒久平和を願うとして、山道さんが一九八九年に始めた。「一万年」には「大昔にはアイヌも和人も関係なかった」との意味を込めた。 
 そんな由来を反映するように、参加者の圧倒的多数は和人。自然循環型のアイヌ民族の暮らしへのあこがれを持った人たちが多い。山道さんは「民族が自立するためには、民族差別をしない和人の仲間も、どんどん作っていかないといけない」と語る。
 「懐かしいような、ここが自分のルーツのような気がした」。東京から来たアルバイト杉山晶子さん(三五)は五年前、初めて会場を訪れた時の印象を語る。中央にはかやぶきのポロチセ(大きい家)、周囲に廃材を組み合わせて作った店が軒を連ね、装飾品や食べ物を売る。太鼓や口琴の音色、走り回る子供や犬ー。「アイヌの魂が私の中にある」と思った。 
 カムイノミの後、東京に住む和人の男女がアイヌ民族の伝統様式で結婚式をあげた。十年ほど前から祭りに来ている新郎の谷地利徳さん(三六)は「土臭くて、地球と生きるアイヌ文化はカッコいい」と屈託なく語った。(静内支局の長谷川紳二が担当します)



自宅に学校 文化伝える


 八月の「アイヌモシリ一万年祭」の直前、名古屋市から会社員の吉田純子さん(四十)が、日高管内平取町二風谷に住む主催者の山道康子さん(六二)方にやって来た。「元気?へこたれてなかったろうね」と山道さんは明るく声をかけた。 
 吉田さんは家庭の事情で二十歳の時に山道さん方に身を寄せ、六年同居した。吉田さんは「自然と共存して生きる、アイヌ民族の豊かさを教わった」と振り返る。
 山道さんは一九八九年から、自宅でフリースクールを兼ねたアイヌ語学校を主宰、家庭不和や不登校の子供らを受け入れている。吉田さんのような「卒業生」は和人を中心に五十人を超える。
 現在は大人を含め十人が山道さん方や離れで暮らす。子供達や意欲のある大人には山道さんが学校の教科のほか、アイヌ語やリムセ(踊り)、刺しゅう、薬草の使い方などを教える。
 ほかにも著述や講演を行って暮らす山道さんだが、これまでの道のりは平坦ではなかった。
 中学一年の時、父親が病死した。「民族問題から目をそむけるな」。父親は、いじめられていた山道さんにそう言い残した。二十六歳の時には夫が交通事故で死去。子供二人を育てながらアイヌ職業訓練校の講師資格(織物)を取得、二風谷で民芸品店を構えた。 
 自身も火事や交通事故で大けがを負うなどの災厄が続いたが、子育てが一段落した四十二歳の時に店を閉じて、父の言葉通り民族問題への本格的な取り組みを始めた。
 その取り組みを代表するのが、一万年祭とアイヌ語学校だ。 
 一万年祭は、二風谷ダム反対運動の時期とも重なり、自然との共生を志向する人らに注目されるようになった。とはいえ、もともとは山道さんや教え子による文化発信の場だ。
 今年の一万年祭で教え子の若者二人が「刀の舞」を舞った。二人は歌に合わせ、円を描くように立ち回り、刀をやさしく当てた。自然の恵みを分け合い、もう傷つけないとのアイヌ民族の誓いだ。見守っていた山道さんは「平和や自然の尊さを伝えるアイヌ文化の担い手は、確実に育っていますよ。」と目を細めた。


 

うわさ、批判 乗り越えて

「NO DRUG」。日高管内平取町で毎年八月に開かれる『アイヌモシリ一万年祭』の会場入り口には、英語で「麻薬禁止」を意味す
る看板が掲げてある。
 一九九一年、大麻を所持していた男が逮捕され、新聞が『一万年祭に参加、北見市で大麻を刈り取った』と報じた。会場で大麻を吸った
わけではないが、『麻薬をやる人の祭り』との風評が広がった。『自宅も大麻工場なんだろうとうわさされた』と、祭りを主催する町内の
山道康子さん(六二)は苦い表情で語る。
 翌年の参加者は三百人ほど減った。うわさを嫌い、参加をやめる人が相当数出たことは間違いない。山道さんも会場で『薬は駄目』と徹
底して訴えた。
 地域では、いまだに「えたいのしれないヒッピー風の若者や外国人が集まる祭り』との見方が根強い。これに対し、山道さんは『罪を犯
してもいない人を、外見や主張だけで差別してはならない』と語る。
 山道さんのフリースクールにも、義務教育を受けるべき子供を学校に通わせていないといった批判がある。「危険人物をかくまっている
」などのうわさにも悩まされたという。
 それでも二十回続いた一万年祭。平取町貫気別でアイヌ文化を伝承している木幡サチ子産(七八)は『行政の補助もなく、一人で文化伝
承を続けたのは立派』と評価。過去二回参加した道ウタリ協会の沢井アク国際部会長『六二』=札幌市=も『アイヌ文化の啓蒙に長年、勇
気を持って取り組んでいる』と語る。
 現在、フリースクールの生徒は高校卒業程度認定試験『旧大検』受験を目指している十五歳の少女一人。山道さんの体力的な問題もあり
、本年度限りで閉じる予定だ。一方で昨年五月、札幌市白石区にアイヌ伝統の織物を販売する『レラの家』を開き、山道さんや教え子の作
品を展示・販売している。
 山道さんの養子となり文化の伝承を目指している山道陽輪さん『一九』は、アイヌ職業訓練校の木彫り講師の資格取得に向け勉強中。『
一万年祭は何百回も続けられたらいいね。そして、僕自身のやり方でもアイヌ文化に携わっていきたい』と話している。

 

戻る戻る

 

inserted by FC2 system